和気清麻呂 旧十円肖像画人物の偉大な功績

和気清麻呂 旧十円肖像画人物の偉大な功績

戦前は護国の忠臣として、知らない人はいないとまで言われていた和気清麻呂。
旧十円札に描かれた彼は、遠く奈良時代の人物です。国の一大事を救ったとされるその事跡は、どのようなものだったのでしょうか。


和気清麻呂 旧十円に選ばれた理由と偉業

 

1.和気清麻呂の生い立ち

  • 生誕:733年(天平5年)
  • 没日:799年4月4日(延暦18年)
  • 出生地:岡山県和気町

和気清麻呂(わけのきよまろ)は、備前国藤野郡、現在の岡山県和気町の出身です。
三歳年上の姉と暮らしながら、清麻呂は舎人、姉は采女として宮中に出仕していました。
時の天皇は史上6人目の女性天皇にあたる称徳天皇。病に臥せっていた折、己の看病をした道鏡という僧を気に入り、法王に任じるなど重用していました。
769年(神護景雲3年)7月頃のこと、宇佐神宮から突如「道鏡が天皇となれば国が安泰になる」という神託があったと天皇の元へ知らせが届きます。
天皇は真偽の確認のため、側近で清麻呂の姉・法均尼を派遣しようとします。
しかし彼女は病に伏していたため、弟の清麻呂に白羽の矢が立ち、宇佐神宮へと遣わされることになりました。
神宮で「我が国は始まって以来、君臣の別が定まっている。臣下を君主にするなど例のないことである。天皇には皇族がなるべきである。無理を通そうとする者はすぐに排除しなくてはいけない」 という真のお告げを受けた清麻呂は伝えますが、天皇の座を奪おうと画策していた道鏡はこれに激怒。
清麻呂は姉と共に左遷され、大隅国(おおすみのくに・鹿児島県)流罪に処されます。
のちに、称徳天皇や道鏡が没すると、清麻呂は流罪を解かれ再び政治の舞台で活躍しました。

2.和気清麻呂の功績

和気清麻呂の最大の功績といえば、やはり僧・道鏡の野望を阻止したことでしょう。
道鏡の権力に屈せず、嘘偽りなく真の神託を告げたことで、「別部穢麻呂(わけべ の きたなまろ)」というひどい名前に改名させられ流罪になった清麻呂ですが、国を憂うその行いは、後世になって旧十円紙幣に描かれ、皇居付近に銅像が建てられるほどの評価を受けています。
一度は失脚したものの、清麻呂は政界復帰後も精力的に活動を行っています。
とりわけ神崎川と淀川を直結させる工事を行い、平安京が築かれた方角への物流路を整備したことは土木事業における大功と呼んでいいでしょう。
結果的には上手くいかなかったものの、水害を防ぐために上町台地を削り、大和川を直接大阪湾へ流す試みも行いました。
これらの功績が認められ、桓武天皇の政権下で清麻呂は高官へとのぼりつめます。
実は、平安京を都に選ぶよう進言したのも清麻呂の功績です。793年(延暦12年)には自ら造営大夫となり、大いに貢献を果たしました。
また、弟に神託を受ける役を譲った姉の法均尼ですが、彼女は若いころ政変で親を喪った孤児を救済しており、これは孤児院の始まりと言われています。

 

3.イノシシと和気清麻呂

さて、今でこそ偉人と敬われる清麻呂ですが、道鏡により流罪とされた時、彼の命運はそこで尽きてもおかしくありませんでした。
流罪の人間は殺されても仕方ない存在なのです。当然、道鏡は刺客を差し向け、清麻呂は足の筋を切られる怪我を負いました。
このままでは死を待つのみと肩を落とした清麻呂。彼を救ったのは、なんとイノシシでした。
突如300匹もの群れで現れたかと思うと、驚く清麻呂を背に乗せ、一目散に宇佐神宮へと向かいました。
そこで再び神から「豊前国企救郡湯川郷の山麓の湯で足は治る」とお告げを受けた清麻呂。
湯冶を行うと、言葉通り清麻呂の足はすっかり回復したといいます。
清麻呂を窮地から救ったイノシシたち。その関係は清麻呂の死後も続きました。
交通安全・学問・建築の神として清麻呂を祀る 「護王神社」「和気神社」では、狛犬の代わりに狛猪が置かれ、清麻呂が京都愛宕山に創設した「愛宕神社」の神使もイノシシ。
他にも、足立山妙見宮(福岡県北九州市小倉北区) にはイノシシに跨った清麻呂の像があります。
ちなみに、清麻呂が描かれた旧十円札の裏面にはイノシシが描かれており、なんと旧十円札の俗称はそのものずばり、「イノシシ」だったそうです。

 

4.天皇家とのつながりを掘り下げる

  1. 和気家は、元々皇族から出た家
  2. 清麻呂が流された「大隅国」は神武天皇の生まれ育った地
  3. 近世、近代の天皇が再評価した清麻呂の功績

・和気家は、元々皇族から出た家
清麻呂を輩出した和気家は、第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)の第5皇子である、鐸石別命(ぬてしわけのみこと) の末裔にあたり、元を正せばれっきとした皇族です。
鐸石別命の曽孫、弟彦王(おとひこおう) が反乱軍を鎮圧した功によって備前・美作国を与えられ、和気家は代々この地を治めていました。

・清麻呂が流された「大隅国」は神武天皇の生まれ育った地
くわえて、清麻呂が道鏡によって流されることになった大隅国は、初代天皇である神武天皇が生まれ育った地でした。
いわば天皇家にとっての「聖地」ともいえる大隅国で逼塞を余儀なくされた清麻呂の無念は、筆舌に尽くしがたいものがあったでしょう。

・近世、近代の天皇が再評価した清麻呂の功績
時代は進み江戸時代のこと、1851年(嘉永4年)に時の天皇である孝明天皇より、清麻呂の功績を讃えて神階正一位と「護王大明神」の神号が贈られます。
1898年(明治31年)には、明治天皇が清麻呂の薨後1100年を記念して、正一位の位階を追贈し、1930年(昭和5年)からは十円札の柄として使用されたことで、和気清麻呂は一気に民衆へと広く認知されるようになっていきます。
また、前述のとおり皇居付近に清麻呂の銅像も作られました。
このように、清麻呂と天皇家は、出自にとどまらず深いつながりを保ち続けてきたのです。

 

5.オススメする動画

「郷土に輝く人々 和気清麻呂」

短いアニメですが、和気清麻呂および姉の和気広虫の生い立ち、業績をシンプル且つ分かりやすく紹介しています。

「【絵本朗読】 和気清麻呂 (わけ の きよまろ)」

上記動画と同様、和気清麻呂と和気広虫の生涯について分かりやすく紹介されています。
また、イノシシと和気清麻呂との関わりにも触れられています。

 

6.本記事の用語補足(ふりがな)

  • 護国(ごこく)
  • 備前国(びぜんのくに)
  • 舎人(とねり/しゃじん)
  • 采女(うねめ)
  • 称徳天皇(しょうとくてんのう)
  • 道鏡(どうきょう)
  • 神護景雲(じんごけいうん)
  • 法均尼(ほうきんに)
  • 桓武天皇(かんむてんのう)
  • 豊前国企救郡(ぶぜんのくにきくのこおり)
  • 神武天皇(じんむてんのう)
  • 孝明天皇(こうめいてんのう)

 

あとがき

いかがでしたでしょうか?
現代まで脈々と続く天皇家を、はるか奈良時代に未曽有の危機から守った男・和気清麻呂。
時流におもねることなく正道を貫く姿勢は、現代に生きる我々にとっても示唆に富んでいますね。

以上、「和気清麻呂 旧十円肖像画人物の偉大な功績」でした。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。