菅原道真 旧5円札肖像画人物の功績、才能

菅原道真 旧5円札肖像画人物の功績

菅原道真と言えば学問の神様として親しまれ、今でも受験の際などに天神様にお参りに行く人は多いと思います。

そんな旧5円札の肖像にもなった菅原道真とは、一体どのような人物だったのでしょうか。


菅原道真 旧5円札肖像画人物の功績、才能

 

1.菅原道真の生い立ち

・生誕845年8月1日(承和12年)
・没日903年3月26日(延喜3年)
・出生地:奈良県奈良市菅原町

菅原道真の家柄は、豪族の出身ということもあり、学者の家系として朝廷を支えていました。父は中流階級の貴族です。
道真は、詩歌に才能があり、わずか5歳の時に和歌を詠み、10歳の時には漢詩を創作していました。
幼少期の道真は、病弱であったため、母が観音様にお祈りをして、一命を取り留めたこともありました。
18歳で、文章生(大学寮で文章道を専攻した学生)となります。
27歳からは少内記という役に就き、宇多天皇の側で天皇の意思を草稿や文案にする仕事で抜群の文章力を発揮します。
のちに渤海国(今の中国)との外交文書を作り、応接する大役を任されます。33歳で式部少輔と文学博士を兼ね、醍醐天皇の治世でも道真は右大臣となります。このように昇進を続けていたのですが、道真の主張する中央集権的な財政に、朝廷への権力の集中を嫌う藤原氏などの有力貴族の反発が表面化。その後、藤原時平との政争に巻き込まれて、大宰府へ左遷されます。
菅原道真は、ひたすら謹慎し天を怨む素振りもみせなかったのですが、劣悪な環境の中で健康を損ない、延喜3年(903)2月に死去。享年59歳。

 

2.菅原道真の功績

遣唐使の廃止
894年8月に、第19回遣唐使(838年)から50年以上中断していた遣唐使を派遣することが決まり、政府の中枢で活躍していた菅原道真が遣唐使を率いる大使に任命されます。
当時は律令体制が大きく崩れ始めた時期であり、政府は地方の統制、税収の確保、軍事力の保持など、どう政治を立て直したらよいのかを模索していました。
律令体制を学んだ唐から、政治の立て直し方も学ぼうとしたのが遣唐使の派遣を決めた最大の理由です。
ところが、任命決定から間もない894年9月に大使の菅原道真が遣唐使を中止することを提案し、第20回遣唐使は中止されます。
遣唐使の廃止の理由は、すでに唐から多くのことを学んでいること、中国大陸で内乱が多く唐が弱っていること、船の遭難など死の危険が多く有能な人材の命を損ないかねないこと、経済的な負担が大きいことなどでした。
この遣唐使の廃止により、日本の貴族文化では、徐々に中国大陸の文化の影響が薄れ、日本独自の貴族文化(国風文化)が発展していきました。

 

3.学問の神様に祀られた経緯

なぜ、菅原道真は、学問の神様と呼ばれることとなったのでしょうか?
道真は、5歳の頃から和歌を詠むなど、幼少期より聡明でした。学問に親しみを持ち、さまざまな分野で卓越した才能を持っていました。数々の難関試験にも合格し、異例の早さで朝廷で家臣に就き、国家のために善政を施します。
道真は、歴史書や漢詩書などの編集を手掛けるなど、学問的功績を数多く残したことから、当代随一の学者と称されています。
道真の死後は、平安京で起きた相次ぐ天変や大納言であった藤原清貫が落雷で亡くなるなど不幸が続き、「道真の祟り」と恐れられるようになります。その祟りを鎮める目的で、道真が眠る地に大宰府天満宮の建立を行いました。
建立された当初は「雷の神」として信仰されていましたが、道真の人柄や学問分野においての多くの功績で人々から慕われます。
江戸時代になると、寺子屋制度の拡充により、「学問・手習いの神様」、「子供の守り神」として敬われます。時代の流れとともに、天神様がより身近な存在として親しまれるようになり、いつからか菅原道真は「学問の神様」となり、現在では太宰府天満宮が受験生のための神社となっていったのです。

 

4.菅原道真の詠んだ和歌

前章でも触れたように、菅原道真は多才な人物で和歌も非常に有名な作品を残しています。

  1. この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば
  2. 東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

 

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」

この世は自分のためにあるようなものだ。満月に欠けたところがないように。
朝廷、外戚のすべてを固めるなど、道長は自身の悲願であった藤原摂関家の揺るぎない地盤の完成を確信し、栄華の象徴としてこの歌を詠んだのでしょう。

「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けておくれ、梅の花よ。主人である私がいないからと言って、春を忘れてはならないぞ。
道真の家族とも十分な別れも許されないまま京都を離れる際に、自宅の梅の木に別れの歌を詠みました。
太宰府では、衣食もままならない厳しい生活を強いられながらも、皇室のご安泰と国家の平安、また自身の潔白をひたすら天に祈り、生涯を閉じたのです。

 

5.オススメの動画

「菅原道真・政治改革の挫折・その時歴史が動いた」
https://www.youtube.com/watch?v=3OKizH2fbl0

 

あとがき

このように学問の神様として親しまれる菅原道真は非常に清廉で、才能に溢れた人物です。現在に残る日本の文化の確立の大きな要因となった遣唐使の廃止も、当時は大きな決断であったのでしょう。
日本の文化を今一度見直し、大切にして未来に繋げていくことが、過去の偉人に対する敬意であると言えるでしょう。

以上、「菅原道真 旧5円札肖像画人物の功績、才能」でした。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。