スティーブ・ジョブズ アメリカを代表するサクセスストーリーから成功を学ぶ


スティーブ・ジョブズと言えば、日本でもビジネスマンはもちろん、学生でもその名前を知っている人は多いと思います。そう、米アップルコンピュータの創業者ですね。
スティーブ・ジョブズは、MacintoshコンピュータやiPhoneなど、数々の画期的な製品と数々のビジネス上のモミュメンタルなエピソードを人類の歴史に残し、惜しまれながら2011年10月に亡くなりました。
今回は、スティーブ・ジョブスの人格と経営手法に焦点を当て、アップルコンピュータが成功した理由を探っていきたいと思います。

スティーブ・ジョブズ アメリカを代表するサクセスストーリーから成功を学ぶ

 

スティーブ・ジョブズの生い立ち


スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)は、1955年2月、アメリカはサンフランシスコに産まれました。彼の生い立ちをまとめると、

  • 実の父親はシリア人で、アメリカに政治学を学びに来ていた留学生だった
  • 生みの母親も大学院生だった
  • その間に生まれたスティーブ・ジョブズは、宗教上の理由から実母の両親に養子に出すことを事前に決められていた
  • 養子縁組をされた受け入れ先が、ポール・ジョブズ夫妻だった

という経緯です。
従って、彼はDNA的には白人とシリア人とのハーフということになりますね。
彼は、若い頃から恐ろしくマイペースなタイプだったようで、13歳の時に憧れていたヒューレット・パッカードにいきなり連絡をしてアルバイトにありついてしまいました。
そして、その後高校の時に引き続きインターンシップでヒューレット・パッカードで働いていた時に、その後アップルコンピュータ社を共同設立することになるスティーブ・ウォズニアックと出会っています。
その後、最もやりたいことができる大学としてリード大学を選択しますが、約半年の間に何の意義も感じられずにあっさり退学してしまっています。
就職して、ビデオゲーム会社アタリ社でエンジニアとして働きましたが、粛々と進めていたパーソナルコンピュータを作って売る仕事を本格的に事業化するため、もう一人の個人投資家を入れて1977年にアップルコンピュータを設立するに至ります。

 

スティーブ・ジョブズの数奇な運命


アップルコンピュータは、

  • 設立後当初から爆発的な人気を博す
  • 設立から3年後の1980年には株式上場を果たす
  • 順調に組織は大きくなって行くが、組織内で軋轢も生まれる
  • 体制の立て直しで、当時ペプシコーラのCEOを務めていた敏腕経営者のジョン・スカリーをジョブス自身がヘッドハンティング

という歴史を辿ることになりますが、スティーブ・ジョブスがジョン・スカリーをリクルートした時の口説き文句が、かの有名な「あなたは一生ずっと、砂糖水を売っていたいですか? それとも世界を変えたいですか?」という言葉ですね。
その後、スティーブ・ジョブズとジョン・スカリーの二人は強力な経営タッグとなり、アップルコンピュータはさらに基盤が強化されていきます。しかし、その後の在庫政策での大きなミスをきっかけに、二人の間にも大きな亀裂が生まれることとなり、スティーブ・ジョブズは何と自分が引き入れたジョン・スカリーによって1985年に解雇されてしまいます。
「全米でもっとも有名な敗北者」
これが、その時にジョブズに称されたキャッチフレーズでした。
やがて、ジョン・スカリーも1993年にアップルを去り、1997年に非常勤顧問としてスティーブ・ジョブズはアップルに復帰します。その後に彼がプロデュースしたiMacが革命的な製品としての評価を得ることになり、アップルのスティーブ・ジョブズは完全復帰をすることになります。
彼は、スカリーにアップルを追われた時のことを後に「アップルからの解雇は最良のこと」と称しています。

 

スティーブ・ジョブズの特異な人間性


スティーブ・ジョブズは、極めて個性的なライフスタイルと価値観を持っていたようです。

  • 風呂に入らない
  • 徹底したベジタリアン
  • インドでの瞑想修行

などなど、日本語で言えばいわゆる「変わり者」というタイプの人格の持ち主だったようです。
しかしながら、一度会社を追われてから復帰したのちは、その奇行も比較的少なくなったようで、有能な開発者らしい色合いが濃くなって行きます。
「時折、レンガで頭を殴られるようなこともあるが、自信を失わないこと。自分のやっていることを愛すること」
「最善とは言えない条項でやった仕事に一番誇りを感じる」
これらの彼の言葉には、経験に基づいた深い含蓄をも感じます。
ただ、彼はあるべき姿を極限で追求するという元来の完璧主義を貫き通しました。どんなマーケティングでも、駄作をヒットさせることはできないと考え、リリースするものの価値には徹底してこだわりました。
そして、何よりもオリジナリティと革新性こそが、アップルコンピュータの存在意義だと思っていたようです。ウィンドウズの開発・発表をしたマイクロソフトを、独自性がないポンコツだとして罵倒し、実際に提訴までしています(95年に敗訴)。
この彼の革新への追求が、アップルの経営スタイルを決定付けることになります。

 

スティーブ・ジョブスの経営手腕


スティーブ・ジョブズが率いるアップルコンピュータの経営方針は、改良ではなくまったく新しいものを出すことことをミッションとし続けてきていました。
それはすなわち、

  • 世界にまだないものを作ること
  • フィールドテストやマーケットテストなどは意味がないものとして、事前調査はしない

のが彼らの常識でした。
「一般消費者とクリエイティブな専門家にとって、多少高くても使いやすいパーソナルコンピュータを造る」
消費者にとっては、世の中にまだ存在もしていないものは、何がほしいかなんて、それを見せられるまでわからないのが当然として、常に消費者に驚きと感動を与えることを目指していました。
スティーブ・ジョブズは、次に来るものは、基本的には自身のイマジネーションで判断をしていたようです。自分の直感とマーケティング感覚で製品開発を進めることを基本として、そのイメージの先にある最良の製品を生み出すことをゴールとしていました。
ただ、これを人に伝えることは容易でなかったようで、「みんなわからないのかなぁ? 僕にはよく見えているんだけどなぁ」というのが口癖だったようです。

 

スティーブ・ジョブズの類稀なる人心掌握術


スティーブ・ジョブズは、有能な開発者であったのみならず、極めて特異な人心掌握の術を持っていたようです。
労働時間が週80時間を切るような奴は落ちこぼれだと考えていたと言いますから、あの当時のアメリカにあって今で言うならば完全なブラック企業というカテゴリー入りをするかもしれませんね。
ただ、彼の考えの根底には、

  • 世界を変える
  • 宇宙に衝撃を与える
  • そのような熱い情熱があれば何時間でも働ける

という考え方があり、そんな志を持った人間以外は採用しなかったようです。
彼にとっては、一緒に働く人間は非常に重要で、採用には相当の神経を使っていたようです。
組織は、Bクラスの人間が一人入るとあっという間に全体がBクラス、Cクラスの人だらけになってしまう。だから、Aクラスの人間としか仕事をしない、という強烈な信念がありました。
そして、これはという人材を見つけると、言葉巧みに一人一人口説いたようです。従業員にも、時に「お前らは人間のクズだ」傲慢不遜な態度をとったかと思えば、とろけるような甘美な言葉をかけ、まさに飴と鞭によってスタッフの心をガッチリ掴んでいたようです。
また、人材は育てるものだという考えも強く、外部からバックグランドの良い人間を雇い入れることを嫌ったようです。10年をかけて、クリエイティブ、テクニカルに育てた人材は、外部から気軽に調達できるような人間では置き換えがきかない。納得性の高い考え方と思いますが、もしかするとこれは、自身が以前ジョン・スカリーをヘッドハンティングしておきながらその本人に裏切られたという経験が影響していたのかもしれません。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか、スティーブ・ジョブズの人物像と経営手腕。
生い立ちから非凡であることは私たちが真似のできないところですが、どこにもない新しいもの、そして本物しか追求しないという姿勢には学ぶところが多いですね。
最後に、長い闘病の末、56歳で亡くなった彼の含蓄のある言葉をご紹介したいと思います。

「他人の人生を生きてはいけない。そして、一番大事なのは自分の心に素直に従うことだ」

以上、スティーブ・ジョブズ アメリカを代表するサクセスストーリーから成功を学ぶでした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。