二宮尊徳 旧1円札肖像画人物の功績と生い立ち

二宮尊徳の生い立ちと功績

二宮尊徳(にのみやそんとく)と言えば、薪を背負いながら、本を読んで歩く姿の二宮金治郎像のイメージが強いのですが、その生涯をあまり知られていません。
旧一円札にもなった二宮尊徳とは、一体どんな人物だったのでしょうか?


二宮尊徳 旧1円札肖像画人物の功績と生い立ち

 

1.二宮尊徳の生い立ち

  • 生誕1787年9月4日(天明7年)
  • 没日1856年11月17日(安政3年)
  • 出生地:相模国足柄上郡栢山村(現:神奈川県小田原市)

二宮尊徳は、5歳のときに、暴風で付近を流れる酒匂川の坂口の堤が決壊し、住んでいた栢山村(現:神奈川県小田原市)一帯が濁流に押し流されてしまいます。
14歳の頃、父である利右衛門が死去し、その2年後には母よし子が亡くなり、伯父の万兵衛の家に身を寄せることとなります。
伯父の家で過ごすことになった尊徳は、農業に励むとともに、勉学にも熱心で、周りの目もくれずに学問を愛する心で勉学に励んだ尊徳のイメージは、この頃のものだと言われています。
農業や学問に精を出した尊徳は、20歳で実家に戻り、その3年後、田畑を買い戻して、生家の再興に成功。
その後、地主経営を行いながら、小田原を出て、武家奉公としても働き、勤め先の財政を立て直しました。
江戸幕府後期に地域の活性化、特に関東地方を中心に数々の復興を請け負うこととなったのです。
そして、安政3年(1856年)下野国今市村(現在の栃木県日光市)の報徳役所で病により死去します。

 

2.二宮尊徳の功績

二宮尊徳は、独自の思想・行動で評判を高め、その結果、小田原藩主から江戸末期の疲弊した分家領地の建て直しを依頼されます。
抵抗の多い中で困難に立ち向かいながら、それを成功に導きました。
尊徳は、農村のあるべき姿を独自の方法で研究・記録し、その体系として報徳仕法を確立。
この方法は、多くの村落の依頼により適用され、尊徳はその生涯を世のため、人のために捧げて、各地の財政や農村の立て直しに力を尽くしました。
こうして、農村が経済的にも困っていた時代に、尊徳は70歳で亡くなるまで農村の復興事業を600ヶ所以上手掛けたのです。
そして、多くの藩や農村を貧しい生活から救い、優れた思想と実践で人々の幸せを追求し続けた偉人です。

 

3.報徳仕法

報徳仕法とは、節約や貯蓄を中心とする農民の生活指導などを通じ、農業経営の立て直しと農村復興を手法化したものです。
尊徳の手法は、「徳を以って徳に報いる(似徳報徳)」と評されて、自ら「報徳」と呼ぶようになりました。
ここで言う「徳」とは、万物に備わる徳、それぞれの長所や潜在的な力のことを指しています。
尊徳は「荒地には荒地の徳があり、借金には借金の徳がある」と言っています。
彼は、少年時代に捨て猫を拾い、荒地の水たまりを耕して米を収穫し、成人になってからは借財の問題点を整理して財政再建に導きました。
「災いを転じて福となす」といいますが、一見の災いも捉え方によっては徳に変わります。
それぞれの徳を掘り起こして、それを連係し、生産性を高めて、循環性を効率化。生活・生業の創造性と安定性を追求する作業が、報徳仕法の基本となるのです。

 

4.二宮尊徳の名言

二宮尊徳は非常に印象的な名言を複数残しています。これらの言葉は今を生きる人たちにも通ずる素晴らしいものなので、ここにご紹介します。

  1. 大きいことをしたいなら、小さいことを積み上げる
  2. 一日生きれば一日の儲け、一年生きれば一生の得
  3. 人間みんな生きているときから仏様
  4. 小事を努めて怠らなければ、大事は必ず成就する

大きいことをしたいなら、小さいことを積み上げる
世間のひとは、とかく小事を嫌って大事を望むけれども、本来であれば、大というのは小を積んだもの。
だから、小を積んで大をなすほかに方法はないのです。

一日生きれば一日の儲け、一年生きれば一生の得
およそ人と生まれた以上は、死ぬのは必定。
長生きと言っても取るに足らないほどの相違で、たとえばロウソクに大中小があるようなものです。人として生まれた以上は、必ず死ぬものとして覚悟をしてしまえば、一日生きれば1日の儲けであり、一年生きれば一生の得だと考えられます。

人間みんな生きているときから仏様
生きているときは人で、死んで仏になると思っているのは間違いなのです。
生きて仏であるからこそ、死んで仏なのでしょう。
生きてサバの魚が、死んでカツオになる道理はありません。
林にあるときは松で、切ったら杉になるという木はないのです。
ですから、生前から仏であって、死んで仏になり、生前から神であって、死んで神なのです。

小事を努めて怠らなければ、大事は必ず成就する
一万石の米は、一粒ずつ積んだもの。
一万町歩の田は、一鍬ずつ積んだもの。
万里の道は、一歩ずつ積み重ねたもの。
高い築山も1杯ずつの土を積んだものなのだから、小事を努めて怠らなければ、大事は必ず成就するのです。

 

5.オススメの動画

https://www.youtube.com/watch?v=yyOQSsm9Ue8

アニメ「二宮金次郎」
https://www.youtube.com/watch?v=tVNxrloMBUo&list=PLF1C01C1ED1552CE0&index=1

 

6.あとがき

二宮尊徳の死後、明治維新によって日本近代化が加速されるに伴い、この尊徳の教えは、福沢諭吉、荘田平五郎など明治の大革新をリードした多くの人々の用いるところとなりました。これが近代日本の発展の精神的な支えとなったことは、間違いありません。
一方、農村にあっても、尊徳の報徳仕法は発展を続けます。各地に報徳社運動が立ち上がったことから、明治政府がこれを取り上げ全国的に展開し、大正末期の1924年には、大日本報徳社が成立しました。
昭和の時代に入り、尊徳思想は、さらに浸透し、日本人の生き方にまで定着しました。
この定着を背景として、各地の小学校には官による呼びかけではなく、地域の有志の寄付で、あの薪をしょった金次郎像が建てられてきたのです。
この尊徳のもたらした精神は、消えることなく燃え続け、勤勉さや研究熱心さなど戦後の発展を実現させた日本人の美質として現在に至る世代の人々にも順次受け継がれているのです。

以上「二宮尊徳 旧1円札肖像画人物の功績と生い立ち」でした。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。

本記事の用語補足(ふりがな)

  • 二宮尊徳(”にのみやたかのり”と読まれることもありますが、ここでは”にのみやそんとく”で統一しました)
  • 酒匂川(さかわがわ)
  • 栢山村(かやまむら)
  • 報徳仕法(ほうとくしほう)