リンカーン アメリカ5$札の肖像人物、その激しい人生と意外な思想

リンカーン アメリカ5$札の肖像人物、その激しき人生と意外な思想

黒人奴隷を解放し、今なお高い人気を誇るアメリカ大統領エイブラハム・リンカーン。有名すぎる偉人です。彼は一体どういう人物なのかを深く掘り下げると、そこに意外な姿が見えてきました。

リンカーン アメリカ5$札の肖像人物、その激しい人生と意外な思想

 

1.大統領になるまでの生い立ち

  • 生誕:1809年2月12日(土曜日)
  • 没日:1865年4月14日(金曜日)
  • 出生地:ケンタッキー州ラルー郡

リンカーンが大統領の地位を得るに至るまでの足跡は、まさに苦難の連続でした。
彼が9歳の時に母親は病死。その後、父親が再婚。
しかしながら、継母との仲は大変良好で「実の息子も良い子だが、エイブ(リンカーン)は最良の少年だった」と述べています。
一方、父親は少年リンカーンに対して「エイブのやつは教育とやらに夢中で思い込みがはげしい、どうにもならん」と述べており、関係は不仲とは言えませんが濃密ではなかったようです。
少年時代のリンカーンは、父親の言葉からも分かるように勉強好きでした。しかし、正規の教育は数人の巡回教師によるもので、学校に通った場合に換算しても一年分位に相当する程度のものでした。
その後は独学でさまざまな知識を身につけたのですが、当時の彼は沢山の本を読み運動はほとんどせず、ひどく痩せていたそうです。

そして、22歳の時に雑貨商を営みますが事業は失敗し倒産。
23歳の時に州議会議員に立候補しますが落選。
さらに25歳で友人に任せていた店が破産。
26歳の時には恋人の死にも直面し、ノイローゼになってしまいます。
このように悲惨を絵に描いたような20代前半を過ごしたのですが、人生の受難はまだまだ続きます。

34歳で下院議員選挙に出馬するも3回連続落選。37歳でついに下院議員に当選するも、次の選挙で再び落選。
その後も46歳から49歳までの間に副大統領選挙落選と2回の上院議員落選を経験します。それでも、幾度もの挫折を乗り越え、1861年3月4日、51歳で合衆国大統領に就任し、積み重ねた苦労が報われたのです。

 

2.リンカーンは博愛人権主義者ではなく強烈な愛国者である

黒人奴隷を解放したリンカーンですが、インディアンに対しては厳しい姿勢で臨みました。
インディアン戦争(戦争とは名ばかりの一方的な虐殺)の大半はリンカーン政権下で行なわれており、ロングウォーク・オブ・ナバホという民族浄化もリンカーンの指示によるものでした。

リンカーンの祖父はインディアンに殺害されており、師と仰いだヘンリー・クレイもまた、インディアン排除論者でした。
このような経緯から、インディアンを国家の安全と国民の生活を脅かす危険な人種であると認識していたことは間違いありません。
黒人の奴隷解放も善意からではなく、アメリカが南北に分断されることを阻止するために大義として利用したに過ぎなかったのです。
1862年北部の軍が南部の軍に敗北した際、北部で講和を求める一派がリンカーンを引き釣り降ろそうとしたのですが、下記のようなことを述べてその動きをけん制しています。

「戦争の目的は連邦の保持であって、奴隷制の存続か、破壊かではない」

「奴隷の一部を解放し、他をそのままの状態に置いたままで連邦が救済できるなら、そちらを選ぶだろう。私は奴隷制と黒人のために何かをするとすれば、そうすることで連邦を救済する助けとなるからだ」

このように、連邦崩壊の阻止の熱意と大義名分の使い方はリンカーンが強烈な愛国者であること、権謀術中に優れた政治家であることを示しています。

 

3. リンカーンの功績

リンカーンの功績に触れる上で外せないのが、南北戦争です。

まずは、南北戦争の発端から説明します。

アメリカ北部は産業革命に成功した工業地区です。現在でいう派遣社員のような流動的な労働力を欲しており、所有者の所有物である奴隷は労働力として発展の妨げに成りかねないものと考えます。また欧州を経済的脅威と考え保護貿易を画策。
最終的な国家目標は、欧州と一線を引き強い国民国家アメリカを作ることでした。

一方の南部は巨大な農場が沢山ある農業地区です。農園所有者の所有物である黒人奴隷は、同地域の経済を根幹から支えていました。また欧州の原料供給地として栄えており、関税がない自由貿易を希望していたのです。
つまり、イギリスを中心とした自由貿易圏に所属したままでいることを希望していました。

戦争直前、アメリカでは北部の価値観が優勢で奴隷制を禁止する州が増えていました。これに危機感を抱いた南部側の州は、独立を宣言します。しかし、強い主権国家を創るために、北部側にとって独立は絶対に承認できないものでした。これにより南北戦争が勃発します。

結果として、リンカーン率いる北部が戦争に勝利。これ以降、アメリカは欧州とは一線を引く独自路線を政治、経済、文化などさまざまな面で歩み、今日の超大国に発展します。リンカーン最大の功績は、南北戦争に勝利することでその礎が構築されたのです。

アメリカ全土で奴隷制は完全廃止されました。奴隷は当時、南部経済の根幹を労働力の面で支えていたので、当然反対する立場存在します。
奴隷制度維持を唱えた側には、単に黒人を差別している者もいましたが、奴隷廃止による経済混乱を阻止したいという思惑もあったのです。
そして、解放により経済は混乱に陥ってしまい、廃業する農家は後を絶ちませんでした。また解放されたものの、黒人は当時のアメリカで経済的弱者です。KKKなど白人至上主義を唱える団体も台頭し、治安も急速に悪化しました。そしてこの人種差別は今日までアメリカに根深く残っています。

 

4.人を元気にする名言の宝庫である

大統領となり、現在のアメリカの礎を築いたといってもリンカーンは、何度も失敗や挫折を繰り返し、それを乗り越えています。そこから生まれた名言には、我々に元気をくれるものが多くあります。その一部を抜粋します。

  1. 世に卑しい職業などなく、ただ、卑しい人があるのみである
  2. あなたが転んでしまったことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ
  3. 事を成し遂げる秘訣は、ただ一つの事に集中することにあり
  4. 夢がある者には、他人と争ってる暇など無いのだよ

「世に卑しい職業などなく、ただ、卑しい人があるのみである」
さまざまな職業がこの世界に存在します。誰もが憧れるような仕事もあれば、ちょっと避けたい仕事もあります。
相手の就いている職業ではなく、人間性でその人を捉えることが重要であるという発言で、当然のこととはいえ、本質的なことを示しています。

「あなたが転んでしまったことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ」
リンカーン自身が、度重なる挫折を経験しました。何度も深い絶望に叩き落されたこともあったでしょう。しかし、その度に這い上がり、ついには大統領になりました。挫折することなど誰でもある大した問題ではない。そこから立ち上がることに意味がある。そんな思いが込められています。

「事を成し遂げる秘訣は、ただ一つの事に集中することにあり」
リンカーンは挫折する度に、「今度もダメなんじゃないか?」という不安が絶対に頭をよぎったはずです。それを打ち消すにはどうするか・・・その答えを示した言葉です。

「夢がある者には、他人と争ってる暇など無いのだよ」
何度も挫折するリンカーンを馬鹿する人も多かったと思います。そんな人達と争うことに労力を注げば、夢からはますます遠のいていきます。生き方、処世術を表した言葉です。

 

5.オススメする動画

【1932:リンカーン大統領暗殺の真相】

リンカーン暗殺前後の詳細について簡潔に触れられています。

【映画『リンカーン』特別映像】

リンカーンの映画の製作に関わる人達が語る話だけでも、この映画を観ようという気持ち、興味が湧きます。

 

最後に…

ここまでの長文をお読み下さり、ありがとうございます。

リンカーンは、マザーテレサのようにヒューマニズムを貫いた天使のような偉人ではありません。日本における織田信長や坂本龍馬のように、新時代を切り開いた強烈な英雄なのです。
彼は貧しい出自から大統領になるというアメリカンドリームを実現し、挫折や不幸に何度見舞われても立ち上がるフロンティアスピリッツの持ち主です。
さらに戦争を自ら中心となって指揮を執り、現在のアメリカを築いた強力なリーダーシップを誇る凄まじい愛国心を持つ大統領でした。
そして信長や龍馬と同様に、最後は暗殺による悲劇の死を迎えています。
「強いアメリカ」の象徴であり、権力の絶頂でこの世を去る波乱に満ちた人生。このように強い印象が色あせることはありません。
だからこそ今日のアメリカでも根強い人気を誇っているのでしょう。

以上、
リンカーン アメリカ5$札の肖像人物、その激しい人生と意外な思想」でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。