それぞれの世代に響く諺(ことわざ)7選

昔の人は実によく周囲を観察しています。子供が大人になって、生活という垢にまみれつつやがて年老いていくということ、年齢を重ねていくことがどういうことかを見事に諺で表してくれています。生活感あふれる、年齢にまつわる諺をご案内します。

それぞれの世代に響く諺(ことわざ)7選

 

◆犬馬の齢(けんばのよわい)

昔は犬や、馬などの家畜は人間より蔑まれて表現されていました。そのため「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」(何でも食う犬でさえ食えないほど夫婦喧嘩というのは不味い)などの諺が産まれました。「犬馬の齢」とは、犬や馬のようにただ漫然と年を重ねてしまっていると自分のことをへりくだって表現するときに使う言葉です。謙譲を美徳とする日本人ならではの表現です。

◆十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人
(とおでしんどうじゅうごでさいしはたちすぎればただのひと)

子供の頃何でもできて天才だ!神童だ!などともてはやされた人も十五歳くらいになると、まあまあ良くできる方、二十歳を過ぎると特に何と言うこともない平凡な大人になっていることが多々ある、という意味の諺です。何故そうなってしまうのか?そこが問題です。

◆四十肩に五十腕(しじゅうかたにごじゅううで)

人間四十歳、五十歳になると、あちこちガタが来るものです。腕が上がらなくなる四十肩、五十腕などはその顕著な例。女性は閉経によるホルモンバランスの乱れ、骨粗しょう症の心配。男性は日々膨れ上がるお腹と広がりゆくオデコに、少年時代の夢を少しずつ消しゴムで消してゆかなければなりません。ちょうど子育ても一段落する年代ではあります。それくらいの余裕はできるかもしれません。

◆七つ下がりの雨と四十過ぎての道楽はやまぬ(ななつさがりのあめとしじゅうすぎてのどうらくはやまぬ)

七つとは午後四時のこと。七つ下がりとは午後四時過ぎ、この時間に降り始めた雨はなかなか止まないものです。それと同様に四十歳を過ぎてから始めた趣味・道楽の類もなかなか辞めることはできないものです。ちなみに四十歳を過ぎてからの恋というものも、止めることはできないらしいです。覚悟が必要ということですね。

◆二十後家は立つが、三十後家は立たぬ(はたちごけはたつが、さんじゅうごけはたたぬ)

新婚、あるいは結婚間もなくの二十歳くらいで夫に先立たれてしまった妻は、後家を通すことが多くあります。けれども結婚生活をある程度続けた後の三十歳くらいになってから夫に先立たれてしまうと、結婚生活の良さを知ってしまっているから、再婚するケースが多いという意味の諺です。そうなのかもしれませんが、そうでないかもしれません。男目線の諺で、不平等感はぬぐえません。

◆雀百まで踊り忘れず(すずめひゃくまでおどりわすれず)

雀という鳥は、死ぬ直前まで踊るように飛び跳ねる習慣を持っています。人間においても、幼い頃に身に付けた習慣や、若い頃に覚えた遊びは年老いてからもなかなか止めることはできないものなのです。悪癖、ネガティブな意味合いで使われる諺です。

◆命長ければ恥多し(いのちながければはじおおし)

中国の古典「荘子」による出典です。「男子多ければすなわち懼れ(おそれ)多し。富めばすなわち事多し。寿ければ辱め多し」が原文となります。意味は「男の子が多ければ心配事が多い。お金持ちになれば面倒なことが多い。長生きすれば恥をかくことが多い」となります。とはいえ、人間産まれ落ちたときから、恥はかき続けているはずです。年を重ねるごとに厚顔無恥になってきて、恥を恥とも思わなくなるもの。周囲に笑顔をもたらすような恥なら、いくらかいても大丈夫なのではないでしょうか?

最後に…

年齢にまつわる諺、それぞれの世代を表現するのに、実に的を得ていると思える言葉もあれば、いささか違和感を覚える言葉もありました。それは時代を経て考え方や生活習慣が大きく変わってしまったからです。ここで得た納得と疑問を咀嚼して、そこからまた言葉を選んで声を上げていかなければなりません。それが出来るのは、今を生きている私たちです。
以上、「 それぞれの世代に響く諺(ことわざ)7選 」でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。