死と生の狭間に仁王立ちする老年期の言葉7選

老年後期という年齢の照準をどの辺りに定めるかはわかりませんが、とてつもない人生経験と生死感、それらを携えて生きてらっしゃる方々が当てはまると想像します。経験の前では、安易な言葉や想像はかえって失礼に当たるのかもしれません。それでも未来とのコミュニケーションのため、あえて言葉を選ばせて頂きました。是非ご一読下さいませ。

死と生の狭間に仁王立ちする老年期の言葉7選

 

◆亀の甲より年の劫(かめのこうよりとしのこう)

一万年も生きると言われている亀ですが、その亀の甲羅より、年長者の助言の方がよほど役に立つということ。年を取っている分の経験や知恵というものは大変貴重なものであるという意味の諺です。類義語に「おばあちゃんの知恵袋」というのがあります。

◆医者と味噌は古いほど良い(いしゃとみそはふるいほどよい)

お医者さんと味噌、あるいはお坊さんなど何事も年月を経ているものが貴重で品物も腕もしっかりしているという意味の諺です。古いということ、年齢を重ねるということ、生き抜いてきたということ、昔を知っているということは偉大です。

◆松かさより年かさ(まつかさよりとしかさ)

老人は年齢を経ている分、経験も豊富で判断も的確であるという意味の諺です。松かさは年かさとの語呂合わせのために用いられた言葉です。かさを重ねていくことは簡単ではないですけれど、重ねていくことによって形になり、使い道も増えるようです。また頼りにされ、尊敬を集めることもできます。

◆風樹の嘆(ふうじゅのたん)

風樹とは、風に揺れ動く樹のことです。風に揺れ動く樹は、風が吹いている間はどうすることもできずにただ揺れ動くのみ、そんなどうしようもない有様を嘆いて「風樹の嘆」という諺ができました。親孝行をしたいと思ったときには、もう時すでに遅く、親は亡くなった後で親孝行出来ないという嘆きを表すときに用いられます。同義語として「孝行のしたい時分に親はなし」があります。現在、超高齢者と呼ばれる方々の多くが嘆いてらっしゃいます。彼ら彼女らのお父上は、戦争にとられ、お母上は被弾されたり、運よく弾を避けても苦労に苦労を重ねて早逝してしまい、何の親孝行もできなかったのです。と

◆老少不定(ろうしょうふてい)

死という避けることのできない運命の前では、どんな生き物も平等で、いつ誰に訪れるかわからないという意味の諺です。百歳の老人であろうと、十歳の少年であろうと常に死と隣り合わせの儚い生という今を生きているのです。ですからいついかなる時も一期一会。全力で人と逢い、全力で生きるのです。

◆死んで花実が咲くものか(しんではなみがさくものか)

立ち枯れて死んでしまった木には花も実もならないことのたとえから、死んでしまっては何もならないと命の大切さを諭すことわざです。たとえどれだけ長命であろうと、せっかくそこまで生かされたのであれば命を大事に、最期まで全うしたいものです。命の大切さは誰もが認識しているはずです。それでも若くして自ら死を選んでしまう方も少なくないどころか、毎年増える傾向にあります。自死を選ぶ方々にとって、他に選択肢はなかったのです。そして自死を選択する理由のほとんどはイジメと生活苦です。このような理由で自らの命を断たざるを得ない若者たちに、いちばん心を痛めているのは高齢者の方々です。

◆天寿を全うする(てんじゅをまっとうする)

天から授かった寿命を生ききること、与えられた肉体のすべてを使い尽して安らかな老衰という死を迎えることを言います。この世に生を受けたすべての人、すべての生き物に与えられた権利であるにもかかわらず、そこまで生ききることのできる方はごくわずかです。あるいはケガや病気を天命と受け入れて自らの寿命とお考えになる方もいらっしゃるかもしれません。けれども長く生きれば生きるほど、できれば自然な形で死を迎えさせてあげたいと、ご家族や周囲の方々は思っているのです。

最後に…

何歳からと区別することのできない老年後期は生の中にいても、かなり死を近くに意識する世代なのかもしれません。老年後期という位置から見る現代、そして若者たち、子供たちどのように映ってらっしゃるのでしょう。願わくばあなた方のように年老いて、安らかに死を迎え入れたいものです。そしてより良い後世への礎(いしずえ)ともなれれば幸いです。
以上、「 死と生の狭間に仁王立ちする老年期の言葉7選 」でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。