中年呼ばわりにも戸惑わない 言の葉7選

中年という、上昇志向と老化現象の間で揺れ動く世代、ついつい後輩、部下や家族に八つ当たりしたくなることもあります。
本記事ではそうならないように、しっかりとしたご自分の成長と、美しい歳を重ねるための言葉をご用意致しました。

中年呼ばわりにも戸惑わない 言の葉7選

 

うかうか三十きょろきょろ四十

うかうかしているうちに30歳になり、落ち着かないうちにキョロキョロ周りを気にしていたら40歳になってしまったという、過ぎていく歳月の早さをあらわした諺です。アラフォーなんてカッコいいことを言ってももう四十、昔は人生50年と言われていました。人生80年の現代とは、きっと時間の密度も、その過ごし方も違ったことでしょう。たとえ平均寿命が長引いたとはいえ、自然災害や事故トラブルなど、人間いつどうなるかわからないものです。あらためて今この時を大切に過ごしたいものです。

年には勝てぬ

何かの折につい口にしてしまう言葉です。四十肩、五十肩などが好い例でしょう。これは寿命は関係ありません。身体の曲がり角、「まだまだ若いもんには負けやせん」と意気込んでしまう中高年の皆さま、注意しましょう。アンチエイジングも大事ですが、中高年は経験で勝負!

四十がったり

人生五十年と言われていた頃のお話ですが、ちょうど更年期にもあたるので現代においても当てはまることの多いことわざです。“がったり”というのは、おもに体力的な衰えを表します。いわゆる四十肩とか「四十退き目(しじゅうのきめ=老眼のこと)」と言われる症状が表れてきます。現代では平均寿命は80歳を越えています。四十歳といえども、まだまだ人生道半ばなのです。老い衰えを感じてから、やらなければならないことも結構あるのです。

後生畏るべし
(こうせいおそるべし)

孔子の「論語」による出典です。自分より若い世代に対して、その可能性に畏怖する気持ちを表した言葉です。若い人たちは、気力もあり、時間の猶予もたっぷりある。しかも自分たちが開拓してきたこの場所から始めることができる。一生懸命、学問に仕事に励んだら、その進歩は自分たちの想像を超えたものにもなるかも知れないという意味です。論語では「後世畏るべし、いずくんぞ来者の今に如かざるを知らんや」と続きます。「若者たちの可能性は素晴らしい。彼らがどうして今の私たちほどになれないなんて言えるものでしょう」という若者へのエールとなっています。中年の先輩としては、こういうエールを送れるほどの余裕を持っていたいものです。

四十五十にして聞こゆることなきは、これまた畏るるに足らざるのみなり

四十代、五十代になってもまったく世間に名を知られていないようなら、大したことはないという意味の言葉です。前項に続き、孔子の「論語」からの出典になります。前項から続けて孔子の言いたいことは「だからこそ若いうちからしっかりと励みなさい!」ということです。若さというのは可能性です。しかし可能性というのは努力してこそ報われるものです。若いという概念も所詮は比較論にすぎません。あえてタイムリミットを設けるとしたら59歳でしょうか?まだまだ、これから!もうひと息!です。

真に結ばれている夫婦にとっては、若さの喪失ももはや不幸ではない。共に年老いることの楽しさが年老いることの辛さを忘れさせてくれる。

フランスの小説家アンドレ・モロワ(1885~1967)の言葉です。結婚して10年、あるいは20年、そろそろ子供たちも手がかからなくなる頃、お互いにゆとりが
出てきます。過ごした歳月を慈しみながら、お互いの老い衰えを感じることもあります。その刻まれたしわやたるみのひとつひとつが、愉しく美しい想い出のかけがえのない証しです。そしてそれはまたこれからも深く刻まれていくことでしょう。

四十にして惑わず五十にして天命を知る

孔子の「論語」の一節です。なかなかこの言葉通りにすんなりとはいかないものですが、身体の機能の衰えからある程度の制限がかかる年齢でもあります。前出しました四十肩、五十肩はもとより、女性の場合、閉経による更年期障害など、さまざまな変化のある年代です。もう迷っている暇はありません。できることは限られているのです。信じてやり遂げることです。

最後に…

まだまだ若いもんに負けやせん!と思うところもたくさんあるのが中年です。そしてあえて譲ることができるのも中年です。経験豊富なのが中年、そして若干持久力がなくなってくるのも中年です。ゆるやかな老いとともに、天命へと誘われていく世代なのです。天命とは、世の中における真の役割のことです。中年とは、その道を迷いなく進むことを決意できる、すばらしい世代なのです。
以上、「 中年呼ばわりにも戸惑わない 言の葉7選 」でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。