高橋是清 旧50円札の肖像画人物の功績と生い立ち

高橋是清 旧50円札の肖像画人物の人物像とその生涯

ふくよかな容貌からダルマ宰相と呼ばれ、旧五十円札にもなった、高橋是清とは一体どのような人物なのでしょうか。


高橋是清 旧50円札の肖像画人物の功績と生い立ち

 

1.高橋是清の生い立ち

  • 生誕:1854年09月19日(火曜日)※安政元年
  • 没日:1936年02月26日(水曜日)※昭和11年
  • 出生地:江戸芝中門前町(現:東京都港区)

是清は、安政元年(1854年)に絵師の川村家に生まれるも、三,四日もたたないうちに、仙台藩の足軽、高橋家に養子に出されます。
その後、彼が三歳の頃、養父母に抱かれて、赤坂の氷川神社にお参りをします。その時、偶然にも生母のきんに出くわしました。きんはすぐにわが子であることに気が付き、なかなかそばを離れることができませんでした。そしてこれが、きんとの最後の対面です。というのは、次に彼がきんに会いに行った時、彼女はもう亡くなっていたのです。

嘉永六年(1853年)6月、アメリカの黒船が浦賀に来航し、国内が動揺しはじめました。そして、是清は、先進諸国の事情を研究する時代の要請もあり、仙台藩から横浜に洋学修業へ出されます。彼が十二歳の時のことでした。

彼は十三歳の時、英語の勉強もかね、英国銀行支配人宅に、ボーイとして住み込みます。この時、ネズミを捕まえ、ビフテキ用の鉄板で焼いて食べた逸話があります。

 

2.七転八起、ダルマ宰相・高橋是清の功績

高橋是清の生涯から私たちが何を学ぶか。それは人それぞれです。しかし、何度失敗しても屈せず、起き上がって奮闘する彼の生き方は、だれにとっても感銘を受けるにちがいないものです。その彼の人生が私たちにとって、最大の業績ではないでしょうか。

アメリカ留学中に奴隷として買われたこともありますが、一方では大学南校(のちの東大)の教師にもなる。しかし、たちまち芸者の箱屋(芸者の三味線を持って行く男)になるし、またある時は、相場師の手伝いまでやっています。
さらに財界に出ては、日本銀行副総裁として、日露戦争の戦費調達の外債募集に成功します。また、財政家として、第一次大戦以後の日本経済の救済者として、手腕を発揮しました。
政界に出ては、大蔵大臣、政友会総裁、さらに内閣総理大臣にもなります。そして、最後に昭和11年「二・二六事件」の時、軍部の手によって非業の死をとげました。

 

3.回想録

高橋は自伝を刊行するつもりはなかったようです。しかし高橋本人が口述し、それを書きとめた自伝はあります。その中から、彼の人柄、人生観がわかる言葉を3つ挙げてご紹介しましょう。

①「近所の方々です」
②「そうなったら私はシジミ売りをして家計を助けます」
③「どうぞ丁稚小僧から仕上げていただきたいと思います」

①は、いわゆる放蕩時代のもの。下宿に芸者のお君が泊っていて、妹芸者が朝ご飯を持ってきます。その時ちょうど、祖母が来て、2人の芸者を見て「して、こちらの方々は?」と言われた、その返答です。そうして「この祖母が朝夕神仏に祈っていることは、おまえの出世することばかりですぞ」と諭されるのです。
②は、ペルー銀山の出資に失敗し、家も売り、何もなくなった時、家族会議で次男の是福が述べた言葉です。
③は、ペルー銀山の失敗後、職を実業界に求めた時の言葉です。彼は、実業界はまったくの初めてなので、ということを述べた後、言った言葉です。

これらの言葉から、彼の人生はどこか一本の筋が通っているように思えます。その原因は祖母の教育はもちろん、キリスト教の影響もあったかもしれません。

 

4.二・二六事件(1936年)と高橋是清

高橋が殺害された高橋是清邸宅は、現在、「高橋是清翁記念公園」となっています。この二・二六事件というクーデターを概観し、その中での高橋是清を見ていきましょう。

当時の国際状況は、1929年の世界恐慌、1931年の満州事変がありました。国内では農村が窮乏していました。このクーデターの首謀者の中には、満州派遣が決まっていた者もいたので、「満州で死ぬくらいなら」という気持ちもあったかもしれません。また軍では、統制派に対して皇道派が凋落していたこともあります。というのは、首謀者は皇道派の青年将校なのです。

首謀者の思想は、北一輝の『国家改造案原理大綱』から来ています。内容はクーデターで憲法を停止し、普通選挙制の実施、私有財産や資本の制限、社会福祉、人権の確立などの改革を行うと記されています。

彼らのクーデター計画は、最初から岡田啓介内閣の倒壊をはじめ、高橋是清大蔵大臣の暗殺が企図されていました。それはなぜでしょうか。
是清は議会で「ひるがえって国内の状態をみると、打ちつづく天災によって国民ははなはだしく痛められている。社会政策上考慮すべき点は多々ある。軍部もこの点はよほど考えてもらわねばならぬ」という。軍部の予算要求をはねつけていました。

結局、首謀者は新政権の樹立をはかったが、天皇に拒絶され、失敗に終わります。しかし、この事件の影響は、軍のいうことを聞かないとテロやクーデターが起るかもしれないという威嚇になり、その後の政治をファシズム化していくことになります。

高橋邸を襲撃された時、高橋は寝たまま落着きはらっていたそうです。そして、拳銃を向けた者を睨んだといいます。

 

5.オススメの動画

高橋是清 経済危機との格闘/その時歴史が動いた
https://www.youtube.com/watch?v=BAHb8wV163Y

 

あとがき

ひとりの生涯をどう見るか。それは見方によってさまざまです。しかし、社会的地位から考えると、高橋是清は芸者の箱屋から内閣総理大臣まで経験した、まれな人物です。なぜ、それが可能であったのか。それは彼の人生に対する姿勢、信念のおかげなのでしょうか。そのことを考えるためには、各自で彼の人生について、探究していくしかないでしょう。
以上、「高橋是清 旧50円札の肖像画人物の功績と生い立ち」でした。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

本記事の用語補足(ふりがな)

  • 高橋是清(たかはしこれきよ)
  • 宰相(さいしょう)
  • 足軽(あしがる)
  • 箱屋(はこや)
  • 皇道派(こうどうは)