貧乏脱出法を五千円札肖像画の樋口一葉から学ぶ

女三人の樋口家・右が一葉、皆、驚き顔である
(写真:女三人の樋口家・右が一葉。みな、驚き顔である)

お金に困り続け借金に苦しめられてきた樋口一葉が、現行五千円札の肖像画として流通しているのも不思議な感じがします。2004年(平成16年)の登場から15年。最初の違和感は消え、いまではすっかり定着した樋口一葉の五千円札。その肖像をクローズアップし、夭折した天才女流作家が会得した貧乏脱出法を学びましょう。

樋口一葉の生い立ち
生誕:1872年3月25日(明治5年)
死没:1896年11月23日(明治29年)
生誕地:東京

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貧乏脱出法を五千円札肖像画の樋口一葉から学ぶ

 

【序文1】まず樋口一葉の大まかな人生を知ろう

樋口一葉の父・則義と母・たきは、甲斐国の農家から駆け落ちして上京。父は機を見るに敏で学がありました。同郷の幕臣を頼って幕府に潜り込んで武士に大抜擢された後、幕府が倒れ朝廷と役人の時代になると今度は役人になり、身分も一気に士族となります。
そんな成功物語の渦中で、樋口一葉は産声を挙げました。年を長ずるにつれ書籍を読み漁り、自分の時間は徹底的に読書に費やす少女時代を送ります。一葉の発育に喜ぶ則義は書籍をたくさん買い与え、金の糸目をつけずに最終的には女性和歌塾の名門「歌塾・萩の舎」へと入塾させ、文学への素養をつけさせました。
しかし一方、則義が勝算ありと財産を注ぎ込んで始めた新事業が大失敗。家族は経済的に奈落の底に叩き落とされ、その数ヵ月後、則義は原因不明の病で急逝します。跡取り息子がなかった樋口家は、17歳の少女・一葉が女戸主になってしまうのです。
その地点から8年間、途中紆余曲折しながらも文才を開花させ、職業女流作家の第一人者として君臨。しかし長年の貧乏が祟り、わずか24年の短すぎる人生を終えることになってしまいました。


 

【序文2】五千円札に選ばれた経緯を知ろう

昔、社会党という万年野党の左翼政党があったのはご存知でしょうか? 若い人なら社民党なら聞いたことがあるという程度の人が大勢です。しかし侮るなかれ社会党、94年から少しの期間、政界再編で自民党と連立を組み村山富市なる人物が首相を務め、日本の国柄を大きく変質させました。村山が密かにフェミニスト(女性解放論者、女権拡張論者)と結託し「男女共同参画審議会」を政令で設置。国の中枢にフェミニストが食い込む事態になりました。樋口一葉の五千円札誕生の背景について、当時の財務大臣は「男女共同参画社会の推進という観点で当省が女性を人選させた」としています。樋口一葉はこのことに対して草葉の陰で何を想うのでしょうか?


 

【貧乏脱出方法1】自己の才能がどの分野にあるのか一日でも早く悟ろう

今、これを読んでいるあなたがまだ社会に出る前の学生なら、とてもラッキーです。なぜなら貴方も樋口一葉と同様、社会に出てすぐさまスタートダッシュを切れる確率が高いからです。
「理系離れというけれど、僕は物理学が好きで、将来研究者になりたいと思っています」
おお、それは素晴らしい。日本の理系は受け皿となる研究所や企業が他の先進国と比べても水準が高く、君が自分の賭けてみたい研究から、派生する職業に就く力を徹底的に伸ばしていけば、仕事面で素晴らしい人生になる可能性は大きいよ。
「大人になる」ということは、若き日に自分の想像だにしなかった転落人生で呆然とする人も常に量産します。自分の愛する人と駆け落ちした一葉の父・樋口則義くらいのパワーは、男ならば心に秘めておきたいもの。親の教育方針、しつけに愛があるか否か、子どもの人生に自分をオーバーラップして生きるようなダサい人間にだけはなりたくないですね。


 

【貧乏脱出方法2】見つけた才能を手段選ばず、徹底的に伸ばそう

樋口一葉に親として最高の愛と教育を施した父・則義は、1889年(明治22年)に事業で大失敗。多額の借金をつくり、享年59歳という若さでこの世を去ります。17歳で女戸主となってしまった一葉は、直後ただ呆然とする日々にいました。しかし「歌塾・萩の舎」で好敵手だった田辺花圃(たなべかほ)が小説で大手出版社からデビュー。三十三円という大金を得たという話が耳に入り、一葉は俄然燃えます。「あんな女に負けていられない、私も積み重ねてきた文才を結集させて、世に出るんだ!」
一葉に対し、もし父の愛情がなく書籍も勉強もなかったら、きっと今ごろ、私は樋口一葉に関する文章を書いていなかった。一葉は意図せず本に育てられ、国語と書を学び、早熟の歌姫として階段を上ったからこそ、生きていく道が見えたのです。お膳立てがなくても、潜在意識があなたの進むべき道を知っている。胸に手を当て、あなたの生きる意味を問いかけてみましょう。
夢が見えたら、それに向かって即ダッシュすべきです。


 

【貧乏脱出方法3】恋愛は一分も妥協のない相手を選ぼう

若き日の半井桃水(なからいとうすい)
(写真:若き日の半井桃水(なからいとうすい))

樋口一葉の恋愛…一葉に恋した男は数多いましたが、彼女はそのうちの誰とも熱くなることはありませんでした。
一葉は初恋の相手・作家の半井桃水(なからいとうすい)を感動するほどしつこく愛し続けたのです。一葉の半井への恋心が募り続けた期間は四年。なぜ、半井桃水に彼女の愛が集中したのか…半井自身が、芸能人でいえば中井貴一似のいい男であり、好みのタイプだったことは外せません。父・則義の逝去後、17歳の少女にとって余りにも責任重大だった女戸主への相続で疲弊していた心を大らかな男の包容力で包んでくれた。さらには自分の作家デビューへの道筋をつけてくれたという大恩が恋心と相まって、他の男とは別の高みある領域に半井は存在していました。
寂しさを癒すためにダラダラと交際するような恋愛は、最初から彼女の辞書にはありませんでした。一途に恋をし、妥協のない相手からさまざまなエッセンスを吸収し、糧とする…。樋口一葉、恋愛についても直球勝負でありました。男と女の関係などよりも、感受性で人を愛し続ける能力が彼女の恋の幹でした。


 

【貧乏脱出方法4】一葉から学ぶ『超越借金術』

1893年(明治26年)、樋口家は余りの借金の多さに危機感を覚え、一葉21歳の夏、何もかも初めからやり直す決意で都心での暮らしを止め、スラム街に近い<下谷区竜泉寺町(現在台東区竜泉)>に引越しました。
その地で一葉は荒物屋(主に台所で使う家庭用品と雑貨類、駄菓子などを扱う商店)を開業。とにかく低廉な儲けでもいいから、着実な暮らしをするという方向性を目指します。しかし「私は本来は作家で、階級も士族だ」というような高飛車な想念を消し去ることができなかった一葉の姿勢はお客の反感を買い、店はすぐ閑古鳥が鳴くようになります。
結局、都心にいた時以上に生活状態は悪化。その頃になると今で言う完全な「多重債務」に陥り、自分の周囲にいる年下の人や大切な人(半井桃水を除く)以外を標的に、借金をし始めます。一葉の借金術で重要なツボはまさにこの部分にあり、立場が弱い年下と大切な人以外から借りまくる。つまり、人間関係が切れても構わない相手から慣れた口上と態度で借りる。この一点に集約されます。自ら卑怯と狡猾に徹したのです。


 

【貧乏脱出方法5】先客万来の家になるほど人気を得よう

達筆で知られる一葉の筆致(日記)2
(写真:達筆で知られる一葉の筆致 日記)

準スラムに棲む一葉の金銭的非行を悲しんだ文芸誌『文学界』の若き編集者・平田禿木(ひらたとくぼく)。業界でもいち早く、一葉の才能を見抜き、彼女の軌跡を追っていました。ことここに至り「業界が一葉を必要としていることを判らせるべき」と判断し、「11日間で何か書き提出せよ」という督促状を一葉に送りつけます。
一葉は指示に従い中篇「花ごもり」を執筆。自己の生きる術はやはり文学にあると悟り、竜泉寺町から本郷に帰ってきました。その後、秀作、名作を連発する樋口一葉宅には業界人が毎日訪ねるようになり、『一葉サロン』とも言われる賑やかさを現出。「打てば響く」一葉の才女ぶりに、はまった男たちの裾野は広がっていき、当代一の売れっ子・川上眉山(かわかみびざん)や、異能作家・斎藤緑雨まで訪れ、女流作家NO1にして文学界きっての愛される存在に成長していきました。
大文豪・森鴎外にして「私は世間で樋口一葉崇拝者などと言われても、彼女の存在を大絶賛する以外にないのだ」と言わしめます。

 

あとがき

樋口一葉から学ぶ5つの貧乏脱出法、いかがでしたか。『芸は身を助く』という諺があります。身についた技術や芸があれば、生活に困った時それが助けてくれるということです。ひどい借金踏み倒しをして最低の人間のように思われても、何か一つ秀でたものがあればそれが糧となり復活することもできるのです。何か一つ、自分はこれというものを見つけましょう!

『五千円札肖像画の樋口一葉から学ぶ5つの貧乏脱出法』を最後までお読み下さり、ありがとうございました。

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  • 「日本文学全集・樋口一葉」(筑摩書房)
  • 「樋口一葉と十三人の男たち」監修・木谷喜美枝(青春出版社)
  • 新・国民の油断「ジェンダーフリー」「過激な性教育が日本を滅ぼす」著・西尾幹二、八木秀次(PHP研究所)