一途な恋心で作家デビューする五千円札肖像画の樋口一葉

樋口一葉肖像-154

いつの時代でも、若者は思春期をむかえると異性を心底愛してみたくなるし、実際に愛し始めます。ここでは、貧困の中から、筆を手に握り締めて作家としてのし上がった一葉のハングリーな戦い、そして本格的な初恋を自覚し始め躍動する心のざわめきをレポートします。

一途な恋心で作家デビューする五千円札肖像画の樋口一葉

 

1.糸の切れた凧のように…立志伝からくずおれた「父亡き後の樋口家」

甲斐国・塩山の山奥から愛する女と駆け落ちし、帝都で次々に成功を収め、わずかの期間に農民から士族にジャンプアップした一葉の父・樋口則義。しかし、彼も最後の最後で運に見放され新事業で大失敗。大借金を抱えて、59歳で急死します。樋口家のカリスマ・則義がいることを前提に戸主の座を相続した16歳の樋口一葉は、家族を統率・扶養する義務を負うことになり、今の時代から拝察すると「そりゃ無理だろ〜」と言うしかない状況下に置かれてしまいます。

昭和22年まで続いた戸主制度は、極めて厳格に運用されるべき家制度の根幹を成すシステムでした。民法で家族を支配するために戸主に認められていた権利は大変なもので、家族の婚姻に対する同意権や居所指定権ほかたくさんの権利を戸主は独占します。ただし、働いてお金を稼ぎ、家族を養い、納税するという義務も同時に負うのです。威勢は良くても知恵のない母・たきに参謀役が務まるはずもなく、一葉率いる樋口家の行き当たりばったりの漂流生活は一葉が大成するまで続きます。

 


 

2.ライバルが火を点けた、樋口一葉の文学回帰への熱

一葉、母・たき、妹・くに三人の女所帯。居を本郷区菊坂町に定め、主に針仕事や洗濯など、三人が唯一できる手内職を始めます。しかし、それだけで家計を維持することは到底無理で、貧乏がすぐに彼女らを直撃。後年、長きに渡る貧困生活で樋口家の面々は恒常的に栄養失調状態に陥っており、それ故に一葉は最終的に早死にする悪運に見舞われたのは紛れもない事実です。

時は明治24年(1891年)、一葉の心を刺激して余りある情報を彼女は耳にします。「歌塾萩の舎」で学んでいた頃の、先輩でライバル関係にあった田辺花圃(たなべかほ、父親は貴族院議員・田辺太一)が『藪の鶯(やぶのうぐいす)』で小説家デビューを果たし、出版社から大金をゲットしたのです。その聞き捨てならぬ話題に、一葉のハングリー精神は燃えたぎります。「あんな女にできて、私に出来ないはずはない!」と一念発起したのが、一葉19歳の春。「私も小説家になりあいつに勝つ!」と、のちの天才女流作家・樋口一葉の胎動が始まりました。萩の舎時代、まさに二人は実力伯仲かつ犬猿の仲だったのです。

 


 

3.生きるために書く! 壮絶な一葉の執念

素人がいきなり何十枚にも渡る佳作を誰の力も借りず書けたとしたら、それは本当にすごいことです。しかしそう簡単に書けるのなら、作家志望者は苦労しません。お手本になる作家の本を熟読玩味し、真似ることから道は拓かれましょう。

プロになるのに一番早いのはプロに師事し仕え、その代わりに小説とは、詩とはなんぞや…と手ほどきを受けるのが最短の道に違いありません。田辺花圃に至れば、明治から昭和にかけて小説家、劇作家、評論家、翻訳家、教育家として八面六臂の実力を備えた日本文学界の大重鎮・坪内逍遥の助力がありました。さすがは貴族院議員令嬢の威光、ここに極まれり…ですね。

一方、極貧生活に喘ぎながら作家を目指すという者に力添えしようなどという御仁は、あまりいません。しかし妹の友人の知人に作家がいる…。それを知った一葉は、矢も楯もたまらず作家宅に趣いたのでした。後年、その男を巡って、苦悩する運命になるとは知らずに…。

 


 

4.恋におちて

男の名前は半井桃水(なからいとうすい)。東京朝日新聞専属の作家でした。出会った時の二人の年齢は、樋口一葉が19歳、半井が31歳、前妻に先だたれた後、半井は自分の兄弟らを扶養し、芝南佐久町に住んでいました。半井家に潜り込んだ一葉は、切々と「弟子にしてください」と懇願します。
その日のことを書いた一葉の日記を、今風の女の子の言葉で書いてみましょう。「かっこよくて笑顔がとても素敵。小さい子どもなら、すぐあなたになつくでしょう。背もとても高いし、私のタイプかも知れない…」。
日記は乙女の躍動する恋の予感に満ちています。確かに写真を見れば、俳優の中井貴一の若い頃に似たなかなかの美男子。恋愛への耐性が低い一葉にとって、30代の男の色気や落ち着いた様は一目惚れに近いものだったと思われます。半井は一葉に対し諄々と諭します。「作家などは世間から見れば道楽者と軽く見られる。お体も辛そうだし、他の仕事のほうが絶対良い」、「話し相手としてならいつでも相談に乗りますよ」。そんな半井の優しい言葉に触れて、涙、涙の樋口一葉でありました。

 


 

5.栄光の時を待ち焦がれ…師・半井桃水との日々

一葉の熱意にほだされ、結局半井は彼女の師となり小説のテクニックを伝授する立場になりました。樋口一葉や近代小説についての造詣が深くなければ、半井桃水という名を知る人は少ないと思います。

ここで簡単に作家・半井桃水の横顔について触れましょう。桃水の作家人生は長く、大正時代中盤まで健筆は続きました。ではその風評はどうであったか…、はっきり申し上げると小説全般に渡ってとても俗っぽく、文学的に評価されることは現代に至るまで一度もありませんでした。恐らく今後も半井桃水がブレイクする…というようなことはまずないと思われます。

そんな半井でしたから、小説の普遍的な書き方については十分指導できても、そこからさらに深い部分となると、一葉に伝授した内容もとても芸術とは呼べないやっつけ仕事の講義となっていたようです。半井は、作家は「卑怯で悪徳な賊や淫乱で性に溺れる女」が書けなければ一人前とは言えないと、さすがは通俗作家のベテランであることを示す方向性を示唆していましたが、一葉は着実に天賦の才を磨きつつありました。

 


 

6.乙女・樋口一葉のこころが震えた「雪の日」の追憶

樋口一葉にとって終生忘れ得なかった、彼女にとってとても大切な一日についてご紹介します。明治25年(1892年)2月4日、しんしんと雪が降る帝都を人力車に乗り、半井宅まで出向いた一葉。

訪問を知らせても誰も出てこない。寒い日だったので、外にいることに耐え切れず、そーっと最初の部屋(二畳間)に上がります。障子の向こうは半井の居間。入る勇気はなく時が流れる。耳を凝らすと半井のいびきが聞こえる。空咳をした一葉の声で半井は起きて障子を開け、一葉と対面。「遠慮するなよ」と笑いながら、半井は素早く身支度を整え、一葉に手製のお汁粉をご馳走します。数時間、二人の談笑の時は流れ、一葉が暇を告げると、「今日は泊まっていきなよ」と半井は平然と言った。明治時代に未婚の男女が夜を共にするということは、大変な意味を持ちます。

現代の男女間のお気軽な交渉とは、奥ゆかしさの水準や桁がまるで違う。結局、一葉はそれを断り人力車で帰宅しますが、ときめきのような、怖さのようなさまざまな感情が入り乱れ放心した様子が、日記から伺えるのです。

 


 

7.一葉ついに処女作を発表、天才女流作家への旅立ちが始まる

半井が後進の若手作家の育成も兼ねて『武蔵野』なる同人誌を創刊したのは、明治25年(1892年)3月23日。その『武蔵野』に、ついに樋口一葉は処女作『闇桜(やみざくら)』を発表。田辺花圃に随分遅れをとってしまい、また媒体力も、師事する先生の水準も圧倒的に大きく開きがあるものの、一葉は作家としての第一歩を確実に踏み出しました。

天才女流作家・樋口一葉は斯界(しかい=その道を専門とする社会や分野)に向けて、全存在を賭して産声を挙げるに至ったのです。初期4作品と呼ばれる小説を短いスパンで書き上げ、まだまだ未熟な点も多数ありましたが、この段階で「この娘の本質はすごい!」と注目した業界人もいたはずです。

のちに最も早く一葉を追いかけ始める、評論家であり随筆家の平田禿木(ひらたとくぼく)は、明治25年作の『うもれ木』に素直に「感動した」と語っています。

 

あとがき

商才とバイタリティに溢れた一葉の父・樋口則義のあっけない破滅と死亡のあおりを喰らい、一家は貧困層に転落。和歌を詠むことしか能のない一葉が、女戸主という身分に縛られ悪戦苦闘します。しかし、一葉の凄味は、普通なら逃げ出すような修羅場で、能力を以て樋口家再興のため真摯に戦い続けたという点。大変強靭な魂の持ち主だったに違いありません。

参考資料
樋口一葉と十三人の男たち(監修・木谷喜美枝)青春出版社
樋口一葉の謎に迫る(孤独な哲人のブログ)