ジョージ・ワシントン 米1ドル紙幣肖像画人物の功績と有名なエピソードの真相

ジョージ・ワシントン 米1ドル紙幣肖像画人物の功績と有名なエピソードの真相

ジョージ・ワシントンはアメリカ合衆国の軍人・政治家・黒人奴隷農場主であり、同国の初代大統領として知られています。
そして、1ドル紙幣に描かれていることは有名ですが、実は5000ドル紙幣の裏側にも描かれているのはご存知でしょうか?
今回はこの偉大なる人物、ジョージ・ワシントンについて掘り下げていきます。


ジョージ・ワシントン 米1ドル紙幣肖像画人物の功績と有名なエピソードの真相

 

1.ジョージ・ワシントンの生い立ち

  • 生誕:1732年2月22日(日曜日)
  • 死没:1799年12月14日(水曜日)
  • 出生地:アメリカ合衆国 バージニア州ウェストモアランド郡

1732年

ジョージ・ワシントンは、2月22日にウェストモアランド郡(バージニア州)コロニアル・ビーチ南部に位置する、ポープズ・クリーク・プランテーションで生まれます。
ワシントン一家はバージニアでの指導層とまではいかず、中流の郷士でした。

ワシントンは幼年期のほとんどをスタッフォード郡のフレデリックスバーグに近いフェリー・ファームで過ごしています。
父のオーガスティンはジョージ・ワシントンが11歳の時に亡くなっており、14歳年長の長兄ローレンスが父親の代わりを務めていましたが、そのローレンスもワシントンが19歳の時にこの世を去ります。
その際、ワシントンはマウント・バーノンの農園を相続。さらに農園を購入し、のちに大農園主となったのでした。

1754年

フレンチ・インディアン戦争が始まると、将軍の副官として指名され従軍。
8月には、大佐としてヴァージニア民兵軍の司令官として活躍します。
この後はトントン拍子とまでは行きませんが、十分な功績を残し、総司令官にまでのぼりつめます。

1783年

この年の12月、ワシントンは総司令官の権限を返上し、マウント・バーノンで大農園主としての生活に戻ります。

1787年

フィラデルフィアで憲法制定会議が開かれた際に、議長に選出。
続いて初代大統領として満場一致で選出され、その2年後の4月、ニューヨークにて大統領就任式を行います。

1796年

9月の「告別演説」において政党間抗争における悪習を説き、ヨーロッパの国際紛争に巻き込まれることのないように訴えます。
そのおよそ3年後の1799年12月14日病死。(死因については後の項目4に)

 

2.ジョージ・ワシントンの功績

独立戦争勃発直後に、フレンチ・インディアン戦争でヴァージニア連隊を率いた経験を買われ、大陸軍総司令官に任命されます。
そして、1775年から1783年まで続いた困難を極めた戦争で勝利をおさめました。

合衆国憲法が制定された後、ワシントンは新たに創設された大統領職に圧倒的票数で選出されます。
初代大統領として建国されたばかりのアメリカの基礎を固めるため、ワシントンはフランス革命戦争とは距離をおくことに。
党派対立の激化を憂慮しつつ、ワシントンは2期8年にわたる大統領任期を終えます。
大統領任期を2期8年までとする慣例は、ワシントン大統領が作ったのです。
初代大統領としてのワシントン最大の功績は、「強力な中央政府に基づく連邦制の礎を築いたこと」にあるのではないでしょうか。

日本では誰もがご存知、一万円札に描かれている福沢諭吉も、その著書『西洋事情』の中で、ワシントンの実績を紹介しています。

 

3.思想について

ワシントンは、軍司令官と政治家の兼業や大統領としての長期政権の機会を自ら拒否するなど、権力の集中や固定化を嫌っていました。

また、質素な生活を好んでおり、農園経営などである程度の富を持っていることを理由に、大統領就任時に給与の受け取りを拒否したこともあるといわれています。
これに関しては、のちに議会の強い要請で受け取ったそうです。
ワシントンのこのような思想は、共和制ローマ時代に活躍した名政治家といわれる「キンキナトゥス」を模範としていたということです。

そして、「アメリカ建国の父」として尊敬されているワシントンですが、インディアンに対しては強い敵意を持っていたようです。
インディアンを狼と比較して、嫌悪感を隠すことなく「姿こそ違えど、インディアンは狼と同様の猛獣である」と発言しています。

彼はアメリカ独立戦争において、大陸軍の将軍ジョン・サリバンに約5,000名の兵士を付けて、ニューヨーク植民地北部のイロコイ族集落を襲わせました。この際、ワシントンは「インディアンの村をただ制圧するだけでなく、皆殺しにするように」と指令し、多くのインディアンが殺害されました。
また、殺害したイロコイ族の尻の皮を剥いでブーツトップやレギンスを作ったという記録もあり、ワシントンがインディアンを人間扱いしていなかったことがわかります。

また、秘密結社フリーメイソンの会員であったということも非常に有名です。
この組織自体に秘匿性が高く、思想や信条についても真偽が入り交じるものなので、気になる方はご自身で調べてみるのも面白いですよ。

 

4.有名なエピソードの解説

  1. 桜の逸話は嘘だった?
  2. 生涯を通じて歯の問題に苦悩
  3. ワシントンの死因について

「桜の逸話は嘘だった?」
アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンは、子どもの頃にお父さんが大切にしていた桜の木を切り倒してしまいました。
「これは誰がやったのだ?」とお父さんが尋ねたので、「私が切り倒しました」と正直に答えます。
お父さんはワシントンが正直ものであることを喜びました。

・・・というのがワシントンの有名な桜の木の話で、「正直桜の話」とも言われています。

しかしこの話、実は作り話だったという疑いがでてきたのです。
この「桜の木の話」は、ロック・ウィームズが書いた『逸話で綴るワシントンの生涯』という本の中で紹介されました。
しかし、初版〜第4版までにこの話は一切ありません。
なぜかそれ以降に出版された第5版から、突然この話が書かれるようになったのです。

一説によれば本の売上を伸ばそうとして、それまでの逸話よりもオーバーなエピソードを創作してしまったようです。
オーバーな創作とも言えるエピソードですが、ワシントンならありえない話ではないなと大衆を納得させるだけの人徳がワシントンにはあったといえます。

「生涯を通じて歯の問題に苦悩」
ワシントンは22歳の時に最初の永久歯を失い、大統領に就任する頃にはその残りはわずか1本になっていました。
ブラジルナッツを歯で割って食べていたのが原因とされていたのですが、最近の歴史家の間では、天然痘やマラリアなどの治療に用いられた酸化水銀が原因ではないかと考えられています。
また、歯の問題によってワシントンは恒常的に痛みを覚えていたため、アヘンチンキを使用していました。こういった彼の苦痛は、現在の1ドル札も含め、就任中に描かれた多くの肖像画に表れていると言われています。

1ドル紙幣:ワシントン

いかがでしょう? 言われてみれば頬が腫れているような、、、気もしないでもないですね。

「ワシントンの死因について」

1799年12月、ワシントンは夜中に突然目覚めて体の不調を訴えました。
この時、ワシントンは喉の感染症にかかっていたのです。

医者が到着するまで、ワシントンは当時最も効果があるとされていた治療法である「瀉血(しゃけつ)」を始めました。
(瀉血とは、余分な血を抜くことで病気が治るといわれていたものですが、現代において医学的根拠はないとされています)
ワシントン自身がこの方法を熟知しており、自らこの治療法を行ったそうです。
その後、医師が到着しますが、到着した医師が指示した治療方法も瀉血。

ワシントンは徐々に衰弱していきます。

新たに2人の医師が呼ばれ、医師3人で協議して出した結論は、瀉血。
合計4回にわたる瀉血によって、抜かれた血の総量は1.9Lにも達しました。
この時、最初に死を予感したのはワシントン本人でした。
遺言書を作成し、事後を秘書に指示して、12月14日に帰らぬ人となります。

ワシントンの死因は、連鎖球菌による喉の伝染病だという説もありますが、その真相は大量失血こそが直接の死因であると言われています。

 

5.オススメする動画

世にも不思議な物語 13 「ワシントンの奇跡」(2/1)

アメリカを独立に導いたジョージ・ワシントンについて。
ドラマ仕立てになっています。
世にも不思議な物語 13 「ワシントンの奇跡」(2/2)

上記動画の続きです。

あとがき

権力の集中化を嫌い、富を持っているからと給与の受け取りを拒否するなど、ワシントンは現代の日本では到底考えられないほどに、清廉で誠実な人間だったようです。
このような人柄だったからこそ、「桜の木の話」も人々に受け入れられ、偉大な人物として今日まで称えられているのでしょう。

以上、
「ジョージ・ワシントン 米1ドル紙幣肖像画人物の功績と有名なエピソードの真相」でした。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。